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江戸城・皇居周辺の散策を楽しもう!

掲載日:2009年11月17日
タイトル:江戸城・皇居周辺の散策を楽しもう!


大都市 東京のど真ん中、まるでオアシスのような緑豊かな場所があります。旧江戸城 皇居です。この皇居、特別な許可がなければ一般人は入れない?と思われがちですが、一部のエリアは一般の人々にも開放されています。見て周るだけなら誰でも入場できる「皇居東御苑」です。東京に暮らしている人でも、「皇居東御苑」へ入ったことがある人は意外と少ないのではないでしょうか。

かつての面影は、城郭に残る巨石や堀、橋や櫓など、わずかに見られるばかりですが、実際に歩いて周ると、その大きさや広さに驚きます。武士や奥女中が歩いていたところだと思うと、歴史ロマンが広がります。当時の江戸城周辺や大奥は、どんな様子だったのでしょうね。

木々の葉も色づき始めた皇居東御苑を3時間かけ、ゆっくり歩きます。今回は、散策と歴史見聞が楽しめる、秋の「まち歩き」講座をご紹介します。


主 催:東京理科大学生涯学習センター
日 時:2009年10月27日(火)13:00〜16:00
講座名:紅葉の江戸城と大奥を歩く(街歩き)


【講師プロフィール】
安藤優一郎先生プロフィール 氏名:安藤優一郎(あんどう ゆういちろう)
肩書:歴史家、文学博士(早稲田大学)

1965年生まれ。歴史家。文学博士(早稲田大学)。江戸をテーマとする執筆・講演活動を展開。JR 東日本・大人の休日倶楽部「趣味の会」でも講座を持つ。テレビ・ラジオ番組出演多数。主な著書に『大名屋敷の謎』(集英社)『将軍家御典医の娘が語る江戸 の面影』(平凡社)『幕臣たちの明治維新』(講談社)『江戸城大奥の秘密』(文藝春秋)『徳川将軍家の演出力』(新潮社)。江戸文化歴史検定出題問題公式 解説集『江戸吟味問答控』(小学館)1級編の執筆担当。



いざ江戸城へ! 〜まち歩きルート〜
  
  東京メトロ東西線大手町西改札前に集合! 安藤先生と東京理科大学生涯学習センターの三宅さんが受講生の点呼をとって、いざ出発! 30代〜60代の男女36名が和気あいあい歩いていきます。
  

(まち歩きのルート)


(1)大手門 :
 江戸城に入れる武士のほとんどが、この大手門から歩いて御殿に向かった。
(2)百人番所:
 江戸城に入る武士をチェックする番所。
(3)松の廊下:
 浅野内匠頭が吉良上野介に刃傷に及んだ場所。
(4)大奥  :
 天守台のすぐ下に広がる6000坪以上もの巨大な御殿空間。
(5)平川門 :
 大奥の女性たちの出入り口。ここで解散。

皇居東御苑MAP 皇居東御苑ガイドマップより抜粋


大手門周辺 〜大手町のビル群は大名の上屋敷跡地に建っている〜
歴史ブームでもあり、歴史と散策を楽しむ女性の方々が多く参加されています。中には、ご夫婦で参加されている方もいて、なんとも微笑ましい。
地上出口を出ると、和田倉門を通り、大手門へ。

「皇居内はマイクを使うことができませんが大声で話すので、ご容赦くださいね(笑)
 現在の大手町のビル群は、諸大名の上屋敷跡地に建っています。左手にパレスホテルが立っていますが、その辺りは、江戸城に登城する諸大名が御殿から下がってくるまで、家来を待たせていた場所です。
 その長い待ち時間の間、諸大名の家来たちは、他家の家来と情報交換を行い、幕府の人事情報も飛び交っていたようです。それが、のちに下馬評(げばひょう)という言葉の由来となったそうです。」

そんな安藤先生の説明を聞きながら大手門をくぐり、皇居東御苑の出入り口へ。入場券をもらい、いざ本丸へ!

大手門 (大手門) 先導する安藤先生 (先導する安藤先生) 受講生への解説風景 (受講生への解説風景)


百人番所周辺 〜殿様も歩いて登城〜
百人番所周辺には、同心番所、百人番所、大番所があります。この各番所は、現在、大手三之御門(大手下乗門)の内側にありますが、当時は、門の外にありました。
大手三之御門から内側へは、将軍・御三家以外は駕籠(かご)・馬で入場することは許されず、大名と言えども数人の共を連れるのみ、そこから先は歩いて本丸に向かいました。
さらに、現在の百人番所を左手に見ながら進むと本丸への入口である大手中ノ門があります。ここから先は、御三家であっても駕籠から降りなければならなかったそうです。そして、その先の大番所を通り、中雀門(書院門)を抜けると、いよいよ本丸に入ります!

本丸に近づくにつれ、道幅もぐぐっと狭くなります。現在と当時では、番所の配置は違ったとはいえ、近辺に番所が3つもあり、さらに角々には見張りつきの櫓門もあります。江戸中期、平和ボケしていた番所の武士たちも、仕事とはいえ相当退屈していたのではないかなと思いを巡らしながら、中雀門へと続く坂を上りました。
百人番所から見た丸の内方面 (百人番所から見た丸の内方面) 安藤先生と受講生 (安藤先生と受講生)


松の廊下・富士見櫓周辺 〜広大な敷地と本丸御殿の構成〜
本丸跡地 (本丸跡地) わっせわっせと坂を上ると、だだっ広いガラ〜ンとした空間が目の前に広がります。いよいよ本丸です。
綺麗に整備され居心地もよさそうな公園です。でも、ここが旧江戸城本丸だ!という期待感が強かった分、歴史を感じさせるものはなく、こざっぱりしすぎて何か物足りなさを感じてしまう。
建物とか、碑とか、目につくものがもう少しあれば歴史ロマンも駆り立てられるのに・・・

そんな気持ちを切り替え、天守閣代わりに使われていたという富士見櫓へ。

それから赤穂浪士事件の発端となる浅野内匠頭が吉良上野介に刃傷に及んだ松の廊下跡地を眺め、江戸城唯一の武器倉庫であった富士見多聞(多聞とは、武器倉庫の意味)へ向かいます。

ちょうど、富士見多聞から天守閣方面を臨む一帯が大奥だったそうです。

なお、本丸の面積は34,539坪(そのうち御殿の広さは11,373坪)で、その本丸御殿は、大まかに言うと「表向(おもてむき)」「中奥(なかおく)」「大奥」の三つの空間から成っていました。

富士見櫓前にて (富士見櫓前にて)

<「表向」「中奥」「大奥」それぞれの役割>


「表向」は、諸大名が将軍に謁見する行事などが執行された大広間・黒書院・白書院。老中や若年寄といった幕府の閣僚が詰める御用部屋で、幕府の中枢部。

「中奥」は、将軍が日常生活を送る空間。大奥に泊まらない日は、ここで眠る。許可がない限り、将軍の側近や将軍の身の回りの世話をする御小姓や御小納戸役(おなんどやく)、奥医師ぐらいしか入ることはできなかった。
その許可の取り方は、側用人や御側御用取次など将軍の御側衆に申し出る形が取られ、老中でさえ、その許可なく中奥には入れなかった。このため、将軍の側近による側近政治が横行する原因となった。また、大奥が隠然とした政治力を発揮できたのは、そうした御側衆との利害関係があったからだと見られている。

「大奥」は6,318坪もあり、本丸御殿の半分以上を占めた。大奥の内部は、さらに「御殿向」「長局向」「広敷向」の3つに分かれていた。



大奥・御台所居住地周辺 〜篤姫らのいた大奥、知られざる女の世界〜
天守閣前付近が、篤姫など将軍の妻である御台所(みだいどころ)が住み暮らしていたところといわれています。
なお、天守閣は1657年に明暦の大火以降、再建されることはなかったそうです。

<大奥に勤める条件:他言しない>


大奥では何が起きていたのか、どのような世界だったのか、どんな生活を送っていたのか・・・

勤めていた女性たちの証言や記録類は極端に少ない。それは、御杉戸から内のことは他言しない旨の誓紙提出が義務付けられていたため。

※御杉戸とは、杉で作られた大奥の御広敷(おひろしき)と奥向きを仕切る出入り口の戸のこと。

御台所が暮らしていた場所 (御台所が暮らしていた場所)

<大奥にも男はいた!>


「大奥」の内部は、「御殿向」「長局向」「広敷向」の3つに分かれていた。
「御殿向」には、将軍の寝所、将軍の正室である御台所や将軍の子女の居室、奥女中の詰所がある。
「長局向」は、奥女中の住居。4,211坪もあり、大奥の三分の二を占める。部屋の数は約100。年寄と言われるトップクラスを除き、大半は同じ部屋で寝泊りするという共同生活。
「広敷向」は、大奥の事務処理、警護役人が詰め、この部屋だけは男子禁制ではなかった。

天守閣から望む (天守閣から望む)


大奥女中たちの出入り口 平川門周辺 〜大奥の女性たち〜
井戸の跡 (井戸の跡) 奥女中たちが住み暮らした「長局向」は、現在の桃華楽堂付近です。約1,000名もの女性たちが生活していた場所です。

当時、玉川上水を引き入れてはいましたが、多数の井戸もありました。その井戸汲み仕事は、主に農民出身の力持ちの女性が担当していたようです。

現存する井戸は1つ(写真参照)だけのようですが、桜の木の傍なので、春には花見に最適かもしれませんね。でも、ここは、お酒はダメなので、目でだけで堪能して下さいね(笑)

<大奥の女性たち>


奥女中たちに対しては、宿下がりの時ですら、侍女が帯同するなど、心休まらない、つらい生活でもあった。しかし、大奥に勤める女性は、武士の娘だけではなかった。
江戸近郊、特に多摩郡に暮らす豪農クラスの娘は、奥女中の行儀見習いの奉公人として、大奥にあがっていた。大奥に勤めることで、いわば高等教育を受けたことの証明とされ、良縁を得る要件になっていたらしい。
ただ、女の世界でもあり、衣類への支出、先輩・同僚への交際費など出費もかさむため、実家が裕福でなければ奥奉公はできなかった。
その奥奉公をするには、現役の大奥に勤める人か、その経験者からの紹介が一般的だった。縛り付けられている封建的な印象が強いが、奥女中の奉公人の場合、監視人の同伴もなく、外出ができた。

奥女中が出入りした平川門 (奥女中が出入りした平川門)


(取材後記)
本丸天守閣から大手町・丸の内方向を眺めると、緑と都会が融和した、なんとも美しい風景を目にすることができます。その一方で、これだけの環境を維持するのは、費用も作業も大変だろうと思っていました。
でも、その全てではないということでしたが、皇居奉仕団という方々がいらっしゃり、綺麗に清掃してくれているんですよ、という話しを聞きました。講座取材日は、ちょうど台風一過で風の強い昼下がりの午後。葉もたくさん落葉していましたが、その日は新潟から来られた皇居奉仕団の方々(フォトギャラリーに1枚掲載)が清掃活動をされていました。こうした活動のおかけで、皇居は綺麗に保たれているのだと思うと、本当に頭の下がる思いがしました。
皆さんも皇居東御苑で、歴史見聞+運動方々、まち歩きを楽しんでみてはいかがでしょうか。




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